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当たり前が当たり前でなくなった世代の高校生

あの日、多くの人はテレビとネットニュースから離れることはなかった。

リアルタイムで津波に流される家や車をテレビで見ながら、人間の無力さを感じた人々。

手助けをすることもできず、まるで映画のような悲惨な光景を呆然と見ていた。

2011年3月11日。

今、幌加内にいる高校生がまだ小学校に入るか入らないかの年頃でした。


「当たり前じゃないんだよ」

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幌加内高校の校長先生が生徒へ向けて語ったこと。

「今までの当たり前は当たり前ではないんだよ」

そう言われて本当の意味で理解できる人は多くはないのかもしれません。

〝頭ではわかっているけど・・・〟

今までの生活様式を変えて新しい形で生活をするということは簡単ではありません。

習慣というものは恐ろしいもので、一度身につくとそこから変化させるのは人間にとっては容易なことではないのです。

2020年に世界的パンデミックを起こしたコロナウイルス。

多くの人が様々な制限を強いられ、今まで通りの生活がままならなくなりました。

もちろん高校生も例外ではなく、大会がなくなり、イベントがなくなり、できる限りの祝典は縮小され行われました。

東日本大震災の悲惨さを知っている世代は後世に伝えます。

「当たり前は当たり前ではない。そのことを身を以て感じて欲しい」と。


両親や身近な人が消える

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目の前で津波に流されていく両親。

目の前で倒壊する建物に潰されていく兄弟。

「助けて!!」と叫びながら消えていく親友。

これらのことは過去のことではなく、明日同じようなことが誰にでも起きる可能性を持っています。

コロナウイルスにかかり、死に目にも会えず遺体に対面することができなかった人も世界中には多くいます。

これらのことは大人子供関係なく誰にでも降りかかった出来事です。

あなたが高校生だったとしましょう。

目の前で親がいなくなり、目の前で親友がいなくなり、目の前で信じられないことが起こる。

家に帰っても聞こえない〝おかえり〟の言葉。学校へ行ってもいつもいる場所に誰もいないクラスメートの机。

あなたはどのような気持ちになるでしょうか。

あなたはこれからどのように生きていくでしょうか。


「今まで通り」という死語

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「今まで通り」

そんな言葉は過去の言葉になり、今後使われなくなる言葉なのかもしれません。

今まで通りの生活がどこまで続けれるのか誰にも分かりません。

今まで通りの学校のスタイルがどこまで続けれるのか分かりません。

今まで通りの時代のように進むことはコロナの影響もあり難しいこととなるかもしれません。

正解を見つける時代がしばらくは続きましたが、正解がないのが当たり前の時代になりました。

「当たり前じゃないんだよ」

校長先生が皆さんに伝えたいのは東日本大震災をリアルタイムで感じ、コロナで今まで通りの学校運営ができなくなっていることを身を以て経験しているからの言葉です。

「今まで通り」なんて言葉に誰しもが信用を置かない時代になっているのです。


特別な世代

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様々な大会がなくなり、様々なイベントができなかった特別な世代。

高校生だけが特別な状況でないのは百も承知の上ですが、それでもやはり今年の3年生は多くのことが強いられた世代になるでしょう。

それでも時間は止まることなく日々は流れて行きます。

時代も社会も誰かを待つことはありません。

「今までは当たり前ではない」

今年卒業した3年生は、その言葉を真に受け止めることができる世代なのかもしれません。

そのことを一人でもいいので、理解した上でこれからも生きて欲しい。

そんな想いから校長先生は皆さんに伝えたのではないでしょうか。

「今までの当たり前は当たり前でないんだよ」

優しく語りかける校長先生の言葉に、是非とももう一度向き合ってみてください。


幌加内高校。